2014-11-01

締め切りを延ばしたとき起こること

「締め切りを延ばすと、こういうことが起こってるのだ」という記事を見つけた。
最初に言っておくが、私は締め切りを延ばしたがる。締め切りを延ばすためなら、どんな努力も厭わないくらい延ばしたがる。世界トップクラスの先延ばし屋たる私に、何が起こっているのかが分かるのなら、と読んだわけだ。治せるものなら、治してみよ。

  1. 心理的に、ゴールまでの距離とモチベーションは反比例する。したがって締め切りを延ばすと、やる気がなくなるのである。だめじゃん。
  2. プレッシャーがあるほうが成果が出る、というのは欺瞞だ。私はプレッシャーがだるいので、そうは思ってない。この記事ではプレッシャーがあると成果が出るんじゃなくて、プレッシャーがないとやらないってだけだろと、ぶった切っている。
  3. 直感による見積というのはアテにならない。楽観的なシナリオに頼ったり、途中の細かい作業を見落としたり。しょっちゅうだ。

モチベーションとプレッシャーをコントールし、見積もりの精度を上げることで、物事を成し遂げられる(確率が高くなる)ということだ。

この記事には、解決策まで書かれている。まず、中間目標を設定することで、適切なモチベーションとプレッシャーを確保する。ただし、中間目標の締め切りにはちゃんと意味付けが必要だ。延ばしても大丈夫な締め切りなんてものは、この文脈での締め切りの意味をなさない。

それから、過去の似たような仕事にどれだけ時間がかかったか、うまくいかないシナリオ、中間ステップを考慮して計画することで、見積の精度を上げる。

文章だけ読んでるとあたりまえのことだけれど、知っていることと実行することは全く別である、ということを思い知らされる。というわけで、まずは冷蔵庫の前まで移動し、次にビールを飲むことにする。過去の経験から、その後のことは予測不可能なので、あえて計画しない。

2014-10-06

一分間マネージャー 〜 ピストルよりもサル

「一分間マネージャーの時間管理」という本を読んだ。やるべきことを、やるべき人がするための考え方が書かれている。次にやるべきことを「サル」と比喩し、サルの世話(次の対応の実行)と、監視(進捗の確認)が必要だと考える。もしも、部下の仕事を引き受けてしまったら、部下の仕事を自分がやり、その監視を部下がする(「あの件、どうなりました?」)ことになる。



私は誰かの上司ではないし、部下もいない。ただ現在進行中のプロジェクトにおいて「自分でプロダクトを作ってはならない」という制約がある。ソフトウェア開発の文脈では分かりにくいかも知れないけれど、ディレクションという役割だ。全体の物量が多いのと、ビジネスレイヤへの説明や打ち合わせが多いので、そもそも自分で全部作れない。

そこで問題がある。指示を出すことが苦手だ。文句を言われても言い返せないし、なんかもう、じゃあもう自分でやるよ、という気分になる。

「〇〇が苦手」というのには2種類ある。ひとつは、才能であれ技能であれ、現時点で何かをする能力が足りていない場合。たとえば、英語の聞き取りが苦手などがそうだ。もうひとつは、心理的にそれをするのがイヤな場合。前者か後者かを見分けるのは、比較的簡単だ。「こめかみにピストルを突きつけられたら、〇〇するか?」と問えばよい。

ここで言うところの私の「人に指示を出すことが苦手」は後者だ。もちろん下手だから伝わらないとか、適切に伝える用意ができていないとか、あるけれど、問題にしているのはそんなレベルではない。「えー」とか「この間と言ってることが違う」とか言われるのがイヤなのだ。忙しそうなのにタスクを追加して困った顔をされるのが嫌なのだ。

これまで、他人に何かをするように伝える、という訓練をしてこなかった。ただ、私より上の立場の人には、それができるように見えることが多い、ということも自覚している。年齢も影響しているかも知れない。

小学校で学級委員になると、欠席/保健室常連になる。中学校の部活で部長になってしまったらサボり始める。アルバイト先で後輩ができると辞める。管理職っぽいポジションへの昇格を察知して、転職する。など。

上司の見る目がないのだろうけど、まあ、それは置いておこう。未来の雇用主が読んだら、雇ってくれないかも知れないけど、まあ、それも一旦おいとこう。いまクビ切られても困るし、別に次のアテもない。自分よりできる人だけを採用した結果、開発者の代わりができない。

そこで、サルの比喩だ。開発者のサルの面倒をみて、開発者に監視をさせてしまう、という状況は、どう考えてもおかしい。組織が想定している責任と権限を、私が持っていないということに、やっと気づいた。なぜ気づかなかったのか。昔の上司、部活の顧問の先生、アルバイト先の社員、担任教師、これまで気づかなくてさーせん。

明日になったら「やっぱり人間と話すのは嫌です」と泣き言を垂れ流すかもしれない。けど、ピストルよりもサルのほうが、精神衛生上よいし、まともな成果が出る気がする。



2014-06-20

知っていることを全部話したくなる症候群

何年も前のことだけれど「お客さんが、製品の話を聞きたいと言っているから、同席してくれ」と営業に言われたことがある。顧客の興味の範囲は大きくて、自社と他社のセンサから取得したデータをブラウザで閲覧できる、とかそんなのだったはずだ。普段なら要件を絞ってからにしてくれ、と言うところだけど、上得意だったのと、顧客が大雑把にしか考えてないっぽかったので、調べてから対応することにした。

さて、顧客と話してみると、準備した知識や情報のごく一部でできそうだったので、必要十分な情報と方法、質問への回答をした。打ち合わせ後「あれだけ時間をかけて準備してたのに、よくぞ喋らずにいられたな」と営業に言われた。

という話を思い出した。これだけだらだら書いておいてナニだけれど、必要以上に(あるいは不必要な)情報を提供する人はなんなんだろうと、ふと思ったのだ。ついさっき。

時間や労力をかけたとき、工夫をしたとき、話したくなる気持ちはすごく分かる。準備の課程で発見や発明があったらなおさらだ。私も冒頭で2段落も使って書いているわけだ。で、棚に上げるけど、「相手が知りたいこと、知るべきことなのか」には気をつけるようにしている。

外食に行って「今朝入荷した、新鮮な明石の真鯛を〇〇したカルパッチョです」くらいなら、ほほーって気分になる。けど、その真鯛を手に入れるためにどんな人脈をつかったか、〇〇するためにどれだけ苦労したか、今日はバイトが休んだから仕込みが大変だった、みたいな話をされるとげんなりするだろう。きいてねーし、付加価値ゼロだし、知りたかったらこっちが聞くし、って思う。

と思いながら、聞いていることがある。全部話したいのは分かる。だって知ってるんだし、知らないと思われたくないし。けど、汝は5分しか話してはならぬ、みたいな状況でもない限り、相手の質問に答えればいい。それよりも、相手にとって不要な情報を話すことによって「そんなこと関係ないだろ、こいつ分かってないだろ」と認識される方が、やっかいな気がする。話を真面目に聞いてもらえなくなりそうだからだ。

そんなわけで、よっぽどかこの文章を消そうと思ったんだけど、がんばって書いたので公開する。

※ 一応追記しておくと、その作業がどれだけ大変だったか、を伝える必要があるとき/伝えることに価値があるときは、なんとしてでも伝えるほうがよい。