この半年ほど、ニートとバイトの間みたいな生活をしている。世間様という実体のないもの、それから、ちょっと仕事を待ってもらっているクライアントに対して、申し訳ないというプレッシャーを感じながら、マラソンレースに参加してきた。
会場への移動中、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ。日々の定常的な創作活動を、ランニングのトレーニングに投影したエッセイだ。彼は経営していたバーをきっぱり辞めて、22時就寝、5時起床の生活サイクルにし、決まった時刻に決まった時間、書き物をするようになったらしい。別の作家もそんなことやってた、とも書かれていた。
早寝早起きと、起きたら重要だときめたひとつのタスクに時間を使う、というのを試してみようと思う。まずは今年いっぱい。そういう贅沢ができる状況なのだから、一度やってみよう。
測れるほうがいいんだろうけど、毎日やるとか、今年中に100日やるとかだと、期間の途中で不達が確定してしまう。これでは、数値目標で得ようとしているはずのインセンティブが、最後まで保たれない。
よい解決策が探していると、あるいは作り出していると、寝る時間がどんどん遅くなりそうなので、細かいことは考えずに、まずは早寝早起きをする、というふんわりしたところから始める。
2015-09-28
2015-07-02
原泰久 / キングダム 1〜37巻
ニート生活もだんだん充実してきつつも、ちょこちょこ仕事を請け負っている。その取引先の人に勧められ、読まないがために取引を止められると辛いので、キングダムを読んだ。低い身分の少年の、戦士としての出世物語だ。
春秋戦国時代の末期がベースになっている。何百年もの平衡状態が崩れて、秦が中華を治めるタイミングなので、大きな変化があった時期なんだろう。ストーリーとして、そもそも面白くなる時期なのだと思う。
七国が入り乱れているので、登場人物が多い。主要人物だけでも描き書き分けが難しくなりそうだが、大きな脚色を加えてある。秦の武将だけでも結構な人数なので、王騎はオカマっぽいキャラになっているし、羌瘣や楊端和は女性という設定になってる。そして記録があんまり残っていない李信を、分かりやすい主人公的なキャラクターに仕上げている。キン肉マンや桜木花道のように、考えたことがそのまま発言と行動になるような。
信を主人公として見たキングダムは、大塚英志の「物語の体操」に書いてある(と思うんだけど)、英雄物語の王道ストーリーになっている。英雄が何らかのハンデを背負ってスタートし、ハンデを克服したり、新たなアイテムや仲間を得て、大きな目的を達成していく話だ。
もともと始皇帝が英雄伝説テンプレートに則ってるけど、キングダムは周辺の人物を軸として、英雄物語になっている。他の登場人物もフラクタルのように英雄伝説を生きていて、たとえば王賁はエリートだけど、父にあんまり直接可愛がられてない、とかだ。
史記(の一部)とキングダムの関係は、三国志と三国志演義の関係みたいな感じだろうか。読んだこと無いけど。史実に創作をかぶせている。宇野常寛の「リトル・ピープルの時代」でいうところの、いまどきの創作っぽい。現実に創作をかぶせているとか、主要人物が読者に近いところにいるように見えるところとか。
諸葛亮孔明や劉備玄徳だと、大ボス感がありすぎてビッグブラザー的になってしまう。始皇帝だって大ボスなんだけど、下僕の立場である信と漂から物語がスタート → 漂と瓜ふたつの政(始皇帝)という設定にすることで、一気に近づけてしまっている。信がタメ口をきくから余計に近くなる。リトル・ピープル的というのは、そういう意味で。
羌瘣も政も、過去が少しずつ無理なく明らかになっていく。たとえば羌瘣は、最初はまったく謎の戦士である。そうしないと、信の戦闘物語とごちゃごちゃになってしまうのだと思う。映画「バンテージ・ポイント」みたいに、同じシーンをスピーディーに何度も複数の視点で見せられればいいんだろうけど、漫画では、とくに週刊誌の連載では、くどいくなりし、だいたい進展が遅くなるんだと思う。たとえば、事前に羌瘣が戦から離脱 → 信の戦が一段落 → 羌瘣が復讐を果たす過程で、過去が明らかに、という順序になっている。
国同士の戦闘なので殺人シーンが多いのと、殺せとかいうセリフが多いので、うわぁ... って思ってしまうんだけど、まあ時代的にはしょうがない。アニメ化するときはきっと大変だったんだろう。
というわけで、先週の金、土、日は、抜歯の痛みに耐えながら、キングダム 1〜37巻を読むだけで終わった。ニート生活万歳。交際費として経費にできるかなぁ。
2015-03-29
今まで与えられたプレッシャーの量を覚えているのか
@torufurukawa がデマルコと話をしたことがあると聞いて
— V (@voluntas) 2015, 3月 20
「ねーよw」と返事をしたものの、実は話をしたことがあった。そして、会話の内容は、仕事の仕方に、影響を与えていることに気づいた。ありがとうデマルコ先生。
2004年のデベロッパー・サミット、略してデブサミの第1回のとき、会場の廊下にいた。退学と就職の間を彷徨っていた私は、Python ユーザ会のブースの留守番をしていたのだ。
トム・デマルコは、基調講演者だかゲスト・スピーカーとして来日していた。金払っていないので講演は聞いていないし、別にイベント自体の運営には関係なかったのだけど、懇親会の会場に潜り込めた。主催者の翔泳社の人に「デマルコと、話してきていいですよ」と言われて、ひゃっほうってな感じで話しに行った。
とはいえ、別に話すことを準備していたわけではない。ただ、前から気になっていたことを聞いた。
「『プレッシャーを与えても速く考えられるようにならない』というのは、正しそうだが、認めるのは難しいと思う。とくに締め切りのきつい仕事だと。どうやって信じられるようになったのか?」みたいなことを聞いた。すると「私にもそれは難しかった。でもね、君はプレッシャーを与えられたら速く考えられるようになる?」と言われた。当たり前のことなんだけど。「合理的に YES と答えた人は今のところいない。だから信じるしか無い」と。
そのときは「サンキュー・ベリーマッチ」くらいしか返事をしなかったと思う。
それから10年たった。
開発者にたいして、設計/実装/テストをアサインする立場で仕事をすることがある。スケジュールから遅れがあった時でも、プレッシャーを与えたりしない。ということに、さっきのツイートで思い出した。どのくらい意識しているのかわからないけれど「どうしても要るのだ。だから全部しよう」とは、たぶん言っていないと思う。言ってたらごめんなさい。
やりたいことを分解すると、いくつのコンポーネントになるのか? それぞれの規模は? 各コンポーネントの依存関係は? そういうことを聞きながら、ビジネスレイヤーでの価値を最大化するには、何を捨てられるかを考える。開発者が間に合わないと言ったら、十中八九間に合わないだろうという前提を持っている。少なくとも、彼らが想定している成果物と方法では、間に合わないのだ。私の責任は、ビジネスレイヤーに対してアウトプットする付加価値を最大化できるような、技術レイヤーでの取捨選択とプロセスの調整だ。
だいたいこれまでだって私が「それは十中八九無理だ」と思ったことは、十中八九無理だった。スーパーハッカーを連れてきたらできたかも知れないが、たいていそんな時間はない。3日でなんとかしろとか、あと3時間で始まる生放送までになんとかしろ、なのだ。
今、デマルコに会えたら、もっといろんな質問をするだろうし、言いたいこともある。けれど、中退したての私にしては、あの質問は我ながらよい質問だったし、それを10年後の今、活かせていることは光栄だ。あの日、「話してきたら?」と言ってくれた @turky には感謝している(忘れてたけど)。
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