2006-04-17

中島義道 / 私の嫌いな10の人びと



「よく考えない人」の類型化です。この種の人びとのことを嫌いかという点では、共感できるところと、できないところがあります。ただ、年賀状を送ってくれるなと告げるなど、対外的な行動に出るのは、大人気ないと思います。



これだけしたのに、自分に対する「感謝の気持ち」が相手にないとわかると、むくれる。いいですか、人の世話を焼くのは自由ですが、断じてそれだけは望んではならないのです。(p.62)


非常に共感しました。こちらから頼んだわけでもないのに、勝手に何か行動されて、その行動やその結果に対して、こちらは感謝の念がわかないという状況があります。たとえば「誕生日プレゼントとして、嫌いなデザインのネクタイを贈られる」という状況です。



嫌いなデザインのネクタイは、残念ながら私にとってはゴミです。ここで「せっかく、あげたのに」と、私に感謝を要求する人がいるわけです。私を喜ばせることが目的であれば、喜ぶような選択ができなかった贈る側に全面的に責任があります。プレゼントを気に入るかどうかに関わらず、私からの感謝を要求するのであれば、もはや贈り物ではなく、コミュニケーションらしきものの強要です。



だから、プレゼントとかよこすんじゃねーよ。



2006-04-03

Be admired and respected

旧聞ですが、lifhack.org の「Be admired and respected」という、上司についてのエントリがあります。



When no one else will make a decision, he does. He doesn't hesitate to seize responsibility and the accountability that comes with it when we need him to.


He listens well, and if he doesn't get it (i.e. whatever we're trying to explain to him) he says so and doesn't pretend that he does.


で、


私の上司について同じ印象があり、尊敬しています。ドラッカーが何かの本で書いていた「本気であることが分かるのが、信頼できるリーダーの条件」と似ています。その上司からの指示や意見は、上司が本気で正しいと考えているのだ、と私は信じています(同意することとは別)。私の説明が伝わっていないときは、分かったふりはせずに、お互いが同じ情報を共有するまで時間を割いてくれます。


で、


日経のアソシエ 2006.04.18 号で柳井正がこんなことを言っています。


[恩人] に対して気を使うあまり、判断基準が属人的なものに委ねられている

そういう人がいる、という指摘です。気づいたのですが、私は、その上司に対する批判やネガティブな意見に対して、やたらと防衛的になる傾向があります。別に私は、その上司が常に正しいとは思っていないのですから、他の人が批判的であっても全く当然のことなのですが、なにやら防衛的になります。こういう態度は、むしろ上司に対すて失礼であると思いました。


で、


その上司がこの四半期から、lifehack.org のエントリの上司と同じく、異動になりました。ざんねん。