2014-10-06

一分間マネージャー 〜 ピストルよりもサル

「一分間マネージャーの時間管理」という本を読んだ。やるべきことを、やるべき人がするための考え方が書かれている。次にやるべきことを「サル」と比喩し、サルの世話(次の対応の実行)と、監視(進捗の確認)が必要だと考える。もしも、部下の仕事を引き受けてしまったら、部下の仕事を自分がやり、その監視を部下がする(「あの件、どうなりました?」)ことになる。



私は誰かの上司ではないし、部下もいない。ただ現在進行中のプロジェクトにおいて「自分でプロダクトを作ってはならない」という制約がある。ソフトウェア開発の文脈では分かりにくいかも知れないけれど、ディレクションという役割だ。全体の物量が多いのと、ビジネスレイヤへの説明や打ち合わせが多いので、そもそも自分で全部作れない。

そこで問題がある。指示を出すことが苦手だ。文句を言われても言い返せないし、なんかもう、じゃあもう自分でやるよ、という気分になる。

「〇〇が苦手」というのには2種類ある。ひとつは、才能であれ技能であれ、現時点で何かをする能力が足りていない場合。たとえば、英語の聞き取りが苦手などがそうだ。もうひとつは、心理的にそれをするのがイヤな場合。前者か後者かを見分けるのは、比較的簡単だ。「こめかみにピストルを突きつけられたら、〇〇するか?」と問えばよい。

ここで言うところの私の「人に指示を出すことが苦手」は後者だ。もちろん下手だから伝わらないとか、適切に伝える用意ができていないとか、あるけれど、問題にしているのはそんなレベルではない。「えー」とか「この間と言ってることが違う」とか言われるのがイヤなのだ。忙しそうなのにタスクを追加して困った顔をされるのが嫌なのだ。

これまで、他人に何かをするように伝える、という訓練をしてこなかった。ただ、私より上の立場の人には、それができるように見えることが多い、ということも自覚している。年齢も影響しているかも知れない。

小学校で学級委員になると、欠席/保健室常連になる。中学校の部活で部長になってしまったらサボり始める。アルバイト先で後輩ができると辞める。管理職っぽいポジションへの昇格を察知して、転職する。など。

上司の見る目がないのだろうけど、まあ、それは置いておこう。未来の雇用主が読んだら、雇ってくれないかも知れないけど、まあ、それも一旦おいとこう。いまクビ切られても困るし、別に次のアテもない。自分よりできる人だけを採用した結果、開発者の代わりができない。

そこで、サルの比喩だ。開発者のサルの面倒をみて、開発者に監視をさせてしまう、という状況は、どう考えてもおかしい。組織が想定している責任と権限を、私が持っていないということに、やっと気づいた。なぜ気づかなかったのか。昔の上司、部活の顧問の先生、アルバイト先の社員、担任教師、これまで気づかなくてさーせん。

明日になったら「やっぱり人間と話すのは嫌です」と泣き言を垂れ流すかもしれない。けど、ピストルよりもサルのほうが、精神衛生上よいし、まともな成果が出る気がする。