赤柳初朗の正体を考える




森博嗣のGシリーズには、赤柳初郎という人物が登場する。この人物の正体の特定を試みている。検討した登場人物、特定するにあたり立てた仮定、候補から外していく過程を残している。

全力でネタバレである。森博嗣の作品群の内容に言及する。未読、読中の人は、そのつもりで、この文書の続きを読む、読まないを判断されたい。


前提

まず以下のような仮定をする。
  1. 本人による回想や内省発言は、本人は真実であると信じている。
  2. 物語の中で、1人だけが赤柳初朗を名乗る。
  3. 非現実的な若作りや長寿はない(150歳だけど三十路そこそこに見えることはない。2013年現在の黒木瞳52歳のような見た目はあり得る)。
  4. 利害がことなる複数の目撃者がいる描写は、実際に起こっている(西之園萌絵、山吹早月、刑事の近藤、赤柳初朗が一緒にコーヒーを飲んでいるシーンでは、実際にコーヒーが飲まれている)。
  5. 赤柳初朗は、他の作品に登場した人物である。

上記の仮定、物語の内容を境界条件とし、条件と矛盾する発言や行動をした人物を、候補から除外する。ただし各登場人物が嘘をつくことを許容する。たとえば、瀬在丸紅子が赤柳初朗の正体を知っていて、かつ「お母様はお元気?」とたずね、赤柳初朗が「亡くなりました」と答えるというシーンがあったとする(実際にはない)。犀川創平は、この返答をすることはないので、除外する。

φは壊れたね

2001年のできごとである。西之園萌絵がD2(博士課程2年)であることから、1974 + 26年(ストレートでD2) + 1年(留年)= 2001年で計算している。
差し出されたのは名刺だった。
《赤柳初朗》という名前、肩書きは《探偵》とある。
[…] 口髭と顎髭がつながっていて、少し灰色だった。年齢は五十代だろうか。背は低く、体格は華奢である。

背が低い、体格が華奢、というのは相対的な表現なので、候補を絞り込む制約条件にはならない。香具山紫子や祖父江七夏は、小柄でも華奢でもない人物として描かれていたが、Vシリーズから20年以上経っているので、世間における評価の変化や激ヤセの可能性もあるため除外しない。

五十代に見えるというのも、変装の可能性がある。10代や90代ではないだろう程度の拘束条件でしかない。

目が少し茶色だという記述もあるが、この時点ではヒントにならない。




θは遊んでくれたよ

φと同じく西之園萌絵がD2であることから、2001年のできごとである。寒そうな描写が多い。次作のτが2001年の夏ごろなので、この作品は2001年始に近い方の冬。

「もしもし」赤柳は自分から話した。「保呂草さんですか? 私です」
「誰かな?」彼の声が聞こえた。似ているが、確信は持てない。
「以前、船でご一緒した」赤柳は言った。
「船?」
「今、那古野におります。こちらで探偵業をしておりまして」
「ああ、君か……」
「わかりましたか?」
「声、いや、アクセントでね」
「どうも、大変ご無沙汰しています」

この会話で、赤柳初朗が保呂草潤平と知り合いであることが明らかになる。しかし、誰なのか、どういう関係なのかは明かされない。どうでもいいから明かされないのか、赤柳初朗の正体が謎なのか、あるいは、謎に見せかけてどうでもいいことなのか。

まず、保呂草潤平とその周辺にいた人物の、生年と2001年時点でのおおよその年齢、赤柳初朗候補から除外したかを以下に挙げる。西之園萌絵が高校で1年留年し、1994年4月に大学入学していることから、1974年生まれであることを基準にする。西之園萌絵と犀川創平の年齢差、犀川創平と他の人物との年齢差から年齢を計算する。

  • 犀川林
    瀬在丸紅子の元夫。Vシリーズでは刑事。1934年生まれ、67歳。瀬在丸紅子より9歳年上。瀬在丸紅子と親いので、候補から除外。
  • 各務亜樹良
    Vシリーズではジャーナリスト。四季シリーズでは真賀田四季に投資する組織に所属。1943年生まれ、58歳。保呂草潤平より3歳年上。保呂草潤平と親いので、候補から除外。
  • 稲沢真澄
    Vシリーズでは探偵。1943年生まれ、58歳。(TODO 根拠は?)
  • 瀬在丸紅子1944年生まれ、57歳。犀川創平より18歳年上。Vシリーズでは自称科学者の、没落した旧家の令嬢。赤柳初朗と直接会話しているので、候補から除外。
  • 藤井苑子
    1944年生まれ、57歳。なんとなく「朽ちる〜」の何年か前に24歳 → 練無の10歳年上
  • 保呂草潤平1946年生まれ、55歳。瀬在丸紅子より2歳年下。Vシリーズでは探偵、泥棒。赤柳初朗と直接会話しているので、候補から除外。
  • 秋野秀和
    1946年生まれ、55歳。瀬在丸紅子の2歳年下。Vシリーズ「黒猫の三角」では探偵、殺人犯。
  • 祖父江七夏1946年生まれ、55歳(TODO 根拠は?)。 Vシリーズでは刑事。犀川創平の両親を知っているので、候補から除外。
  • 立松
    1947年生まれ、54歳。祖父江七夏の1年後輩。Vシリーズでは刑事。
  • 大笛梨枝
    1950年生まれ、51歳。小鳥遊練無の2学年上、少なくとも1年の結婚生活
  • 小鳥遊練無1954年生まれ、47歳。瀬在丸紅子より9歳年下 12月生。Vシリーズでは大学生。佐々木睦子と面識があるので、候補から除外。
  • 森川素直
    1954年生まれ、47歳。小鳥遊練無と同学年。Vシリーズでは大学生。
  • 香具山紫子1955年生まれ、46歳。瀬在丸紅子より9歳年下 2月生まれ。Vシリーズでは大学生。
  • 犀川創平1962年生まれ、39歳。西之園萌絵より12歳年上。Vシリーズでは小学生、S&Mシリーズでは助教授。瀬在丸紅子と犀川林の息子。赤柳初朗と直接話しているで、候補から除外。
  • 真賀田四季
    1965年生まれ、36歳。「四季 夏」で保呂草潤平と面識がある。沓掛と面識があってはいけないので、除外。
  • 儀同世津子
    1969年生まれ、32歳。犀川創平より7歳年下。S&Mシリーズでは雑誌記者。祖父江七夏と犀川林の娘。
  • 西之園萌絵
    1974年生まれ、27歳。S&Mシリーズでは大学生。赤柳初朗と直接話しているので、候補から除外。
TODO: 室生真弓、儀同世津子、島田文子

船が「恋恋蓮慕の演習」のヒミコ号だとすると、除外する対象がすぐに決まる。しかし、カイロの飛行機を船と呼べば、稲沢真澄が候補として残る。観覧車を含めると藤井苑子もしかり。また保呂草は「恋恋〜」の中で、船で密航したような回想をしている。したがって、境界条件としてこの情報は使えない。

アクセントも同様で、香具山紫子には分かりやすいアクセントがあるけれど、それは他の人物にアクセントがない、ことにならない。

この物語の少し前、2001年1月に「四季 秋」で、保呂草潤平、各務亜樹良、犀川創平、西之園萌絵はイタリアで一緒にいる。各務亜樹良とは何年かぶりの再会だった。1年足らずで「大変ご無沙汰」というのは不自然なので、各務亜樹良を除外する。

また、真賀田四季もこのリストに含めている。S&Mシリーズで儀同世津子のすぐ近くにいたこともある。少なくとも、ここまでの情報で、真賀田四季が赤柳初朗を物理的に名乗れないという条件がない。



    

τになるまで待って

2001年の夏か秋ごろ。θのことが会話に出るので、2001年以降である。期末試験の直後、犀川が白いシャツだけで外に出ているという描写から、前期試験の休みであろう。8月とか9月。登場人物リストの学年が、θから変わっていない。

犀川創平と赤柳初朗が、同席する。特にお互いに何かやりとりはない。少なくとも、赤柳が犀川創平という准教授だか助教だかの存在を知る。

「一つきいて良いかしら?」彼女は、探偵が頷くのを待ってから言った。「どうして、そんな格好をなさっているの?」
「いえ、私も葬儀に参列をするつもりで」
「そうではなくて、その髭」
「は?」
「年季は入っているようですけれど、私の目は誤魔化せませんよ」

上は佐々木睦子に挨拶をしたときの会話である。髭が具体に何を指すのかは、ジグβで「付け髭」であることが言及されるが、付け髭は誰でも付けられるのでヒントにならない。

この話が短篇集レタス・フライに入っている「刀之津診療所の怪」よりも後の話であるということ(TODO: なんでだっけ?)。


十一時頃、佐々木睦子は別荘を出て、散歩に出かけた。[...]「さあ、とにかく、中へどうぞ」彼は手招きした。「懐かしいなあ。お茶でも淹れましょう。フランソワ」

佐々木睦子は、小鳥遊練無と会っている。別の短編「ぶるぶる人形にうってつけの夜」(「今夜はパラシュート博物館へ」に集録)で、佐々木睦子はフランソワを名乗り、小鳥遊練無をロベルトと呼んでいる。赤柳初朗の正体が小鳥遊練無だったら、ミッション・インポッシブルばりの変装をしてない限り挨拶しないだろう。また、正体がばれたときに、こんなよそよそしいリアクションにはならない。小鳥遊練無を候補から除外する。

そうすると、藤井苑子を除外するかが問題になる。若いころ小鳥遊練無と藤井苑子はCIAが見間違えるほど似ていた(「地球儀のスライス」「朽ちる散る落ちる」)。佐々木睦子が小鳥遊練無を見分けられるのであれば、藤井苑子を小鳥遊練無と誤認する可能性がある。一方で、50代の小鳥遊練無と藤井苑子は似てないのかも知れない。そういうわけで、藤井苑子は残す。



    

εに誓って

西之園萌絵のD2、加部谷恵美の「もうすぐ三年生なので、最後の二年間は、一人暮らしにチャレンジしてみよう、と考えた」という内省から、2001年後半の冬のできごと。後発のηとの関係から11月以前である。
山吹の不運を知るよりも三十分ほどまえに、東京の友人から電話がかかってきた。彼は公安の内部にいる人間で、赤柳の古くからの知り合いだった。

祖父江七夏、立松、稲沢真澄なら、そういう知り合いがいてもおかしくない。だからといって、香具山紫子、森川素直、大笛梨絵にそういう知り合いがいないことにならない。




λに歯がない

2001年。
「久し振りですね」沓掛が言った。「えっと、今は、赤柳さんっていうんですか?」
「どうも」赤柳は笑う気にはなれなかった。「何です?わざわざ、那古野まで来たのは?」
[…]
「なかなか、よく観察されていますね」沓掛は言った。「ところで、保呂草という男をご存知ですね?」
「え?」
沓掛は、じっとこちらを見据えたまま黙っていた。
「知っていますよ。かなり昔の友人です。珍しい名前だから、たぶん、そいつのことだと思いますけど」

赤柳初朗が偽名である、すくなくとも、沓掛は別の名前を知っていることが分かる。また、保呂草とつながっていることを知られていて、公安に対して隠すことを諦めている。オフィシャルに調べると、保呂草と近いところにいたことがばれるのだろう。ただ、特に新しい知見にはならない。大笛の線が、ちょっと怪しくなる程度か。

沓掛が本当に公安なのか、というのは、それはそれで怪しい。怪しいけど、仮に信じよう。

そうするとテロリストの藤井苑子や殺人犯の秋野秀和が、公安がこんなに仲良くていいのか、という疑問もある。だが、何かの取引があるのかも知れないので、ここは積極的に除外させる要素ではない。

沓掛は、真賀田四季を探していて、かつ、赤柳初朗の正体を知っている。というわけで、真賀田四季を候補から除外する。




ηなのに夢のよう

来年度からW大学の助手になるために、今年度中に学位取得が必要で、そのために4ヶ月前の今がぎりぎり、というエピローグでの西之園萌絵の思考から、2001年12月のできごと。
「へぇ、赤柳? 変な名前だな」
「覚えやすいでしょう?」
「なんで?」
「保呂草さんは、何ていうんです?」
「おいおい」
「あ、失礼失礼」赤柳は周囲を見回した。「でも、誰も聞いていませんから、いいじゃないですか。盗聴されているわけでもないでしょう?」
「僕は、椙田だ」デスクの引出から名刺を取り出した。
[…]
「ところで、紅子さん、元気だった?」
「あ、いえ、会ってお話ししたわけじゃないのです。ちょっと、遠目に拝見しただけです。相変わらずお美しい、ということしか」
「そうか、その格好じゃあ、彼女に笑われるな」椙田は笑った。
「いや、覚えておられないでしょう」
「そんなことはない。絶対に覚えている。あの人は一度見たものは忘れない」

椙田事務所に、赤柳初朗が訪れたときの会話。椙田とか書くと、いろいろ面倒なので、保呂草で統一する。椙田≠保呂草だと、以下の考察は崩壊。

瀬在丸紅子を「相変わらず美しい」と言っているので、以前から知っているか、そのようにしている。

その格好じゃ笑われる、と予想するのは、以前に紅子と会ったときと、現在とで、赤柳の格好がすごく違うのだろう。昔の格好を年月を延長して、五十代男性の探偵の格好にならないのは誰か考える。

瀬在丸紅子が犀川林を忘れることは考えられないので、犀川林は除外する。

祖父江七夏、稲沢真澄、香具山紫子、大笛梨絵は性別が変わってしまうという点で、瀬在丸紅子に笑われる可能性がある。秋野秀和、森川素直は青年がおっさんになったと考えれば妥当だから、別に瀬在丸紅子に笑われないと思う。香具山紫子が森川素直を「この男」というふうに頭のなかで思っていることがあった(TODO: いつ? 魔剣天翔で生協で会ったとき)。

Vシリーズで、立松について地の文では「彼」と書かれている。けれど、明確に性別が分かるような箇所がない。林と同じで、姓名が両方がまともに登場したこともない。 さらに、立松も森川素直もどこかで性転換しているかも知れない。



目薬αで殺菌します

ηまではC大2年生だった加部谷が、この作品から3年生になっていることから、2002年のできごと。
赤柳は玄関口に立って、作業を眺めることにした。背中には、大事なパソコンの感触がある。引越屋には任せたくはなかった。時田玲奈が残してくれた最新型のものだったからだ。

時田玲奈の姉と名乗る人物から、時田玲奈のノートパソコンを受け取り、その帰り道に紙袋に入ったノートパソコンが奪われる。だが実は、背中に隠していて、奪われていない。このノートパソコンについてだけ、赤柳は誰にも話していない。警察にも、西之園萌絵にも話していない。赤柳初朗の正体にはつながらないのだけれど。





ジグβは神ですか

2005年の初秋。加部谷恵美が、大学院に進学せずに県庁に就職し、それから1年以上たっているという述懐から。また、山吹がD2で学位取得し、この年から助教になっていることから、αから3年 = 2005年。

「君か?」近づいてきて椙田が言った。「おばさんだな」
「おばさんですよ」水野は頷いた。「そちらだって、おじさんじゃないですか」
「どうしてそんな変装を? いや、変装じゃないか……、それが素かな?」
「素なわけないじゃないですか。老けてみせているんですよ」
「おやおや、もの言いまで、立派なおばさんになってる。凄いな」
[…]
「老眼ですか?」
「え?」
「メガネ上げてるじゃないですか」
「ああ……、いや、そういう振りをしているんだ。にしても、君は凄いな」椙田はまじまじとこちらを見た。「ああ、なるほどね……。えっと、まえは、何ていったっけ? 何年かまえに会った」
「あのときは、赤柳でした」

そんなわけで、この話では、赤柳初朗というおっさんは、水野涼子というおばさんになっている。最初に立てた仮定が重要で、保呂草の知っている赤柳と、これまでに出てきた赤柳は同一人物であるということに完全に寄りかかっている。その仮定が正しいとすると、赤柳=水野として続ける。

「危なっかしいことでも?」
「ええ、まあ……。そんなところですね」
「どんな?」
「バイトで使っていた子が自殺して、その子が私にパソコンを残したんです。それを受け取りに東京へ来たとき、駅のホームで黒人二人に襲われました。そのパソコンを盗られましたよ」

赤柳は、ここでも時田玲奈のノートパソコンが奪われたことにしている。自分の正体については口が軽いのに、このことだけは、頑なに隠している。とはいえ、正体のヒントにはならない。

正体のヒントになるのは、次だ。

「犀川先生に会ったことは?」
「え? あ、ええ、ほんの少しなら」
「ご両親は?」
「誰のです?」
「犀川先生の」
「いえ、知りませんよ、そんなこと。どうしてですか?」
「お元気かな、と思って」
「なにか、関係があるのですか?」
[…]
「なんだったら、紅子さんに会ってきいてみたら?」
「瀬在丸さんですか? 彼女、その方面にお詳しいのですか?」
「僕よりはね。最近会った?」
「いいえ、全然。それって、たしか、このまえのときも、ききましたよね」
「そうだったかな」
「そうかぁ……、今なら、おばさんに戻ったから、久し振りに会ってみようかな。びっくりされるでしょうね」
「しないと思うよ」

赤柳はτで犀川創平には会っている。保呂草との会話から瀬在丸紅子と面識がある。その上で、上の会話だ。赤柳は犀川の両親を知らないように読み取れる。「知りませんよ、そんなこと」は、両親を知っているが、どうしているかは知らない、ということかも知れない。


「あれぇ?」練無は祝儀袋を見て首を捻った。「これ、何ていう漢字?」「どれどれ?」紫子が覗き込む。「うーん、川と、林」「それくらい読めるよ……。え? 誰の名前? どうして、林さんが下に書いてあるのかなあ?」

Vシリーズの最終話「赤緑黒白」で、林からへっくんへの祝いの名前を見た時点で、小鳥遊練無と香具山紫子は「◯川林」の意味が分かっていない。この後、知る機会がなければ、分からないままかも知れない。

稲沢真澄、大笛梨絵、立松も、犀川の両親を知らない可能性がある。

ただし祖父江七夏は知っている、あるいは、名前を聞いた時点で気付くか調べるかする。仮に犀川創平の母親がどうしているかを知らないとしても、父親を知らないってことはないだろう。そのことを保呂草潤平も知っているのだから、上の質問自体がおかしい。祖父江七夏を除外する。

TODO: 保呂草潤平が言う「犀川先生」が犀川創平を指しているのか? 妻がいるっということはないか?

「全然見えません」山吹がふっと息を吐く。「そういえば、面影がありますね。あ、わかった。赤柳さんのお姉さんでは?」
「私、そんな年齢に見えますか?」水野はちょっとむっとした。
[…20行くらい会話…]
「あの、ちょっと山吹さん」水野は立ち上がって彼に近づいた。
「はい、どうぞ」山吹は、皿と箸を水野に向かって差し出した。「たれは二種類あります。お好きな方を」
「いやいや、そうじゃなくてですね。一言いいたいことがあるんですよ」
「何ですか?」
「実は、老けて見えるようにメイクをしているのです」

この会話は気になる。なんでわざわざ、老けているように見せているのだ、と強調するのか、と。考えられる理由は2つある。

まず、ほんとうはもっと若いんだよ、という真実を知らせたい場合。

もうひとつは「実は、老けているけど、若いと思わせたい」という素性を偽ろうとしていること。とはいえ、稲沢真澄の線が強くなる、という程度の情報である。

続いて、山吹と萌絵が電話での会話。

「いいえ、知らなかった。でも、赤柳さん、私と一緒に写真を撮られたの、東京でね。それをご丁寧に送ってこられたの。その写真を、たまたま叔母様に見せたら、ああ、この人知っているって、女なのに男に変装している人でしょうって言うわけ」

西之園萌絵がそう言ったってだけで、本当にそう思っているかは不明。たとえば森川素直をかばおうとしていたら、あえて逆向きの意見を聞かせるかも知れない。

水野はさらに数メートル前進した。そして、車中の女性と目が合った。
「瀬在丸さん」声をかける。
瀬在丸紅子が車から降りてきた。彼女はじっと水野を見ていたが、やがて微笑んだ。
「お久し振りですね。こんなところで、何をなさっているの?」
「お目にかかれて光栄です」水野はさらに近づいて、片手を差し出した。
瀬在丸の両手が、水野の手に触れる。水野も、もう片方の手を添えた。
「ご無沙汰しております。何年振りでしょうか。二十五年以上になりますよね」
「そうですね……、でも、よく覚えていますよ。お会いできて、嬉しいわ」

言葉のやりとりは、あんまり参考にしていない。香具山紫子だったら「紅子さん」って呼びそうだけど、自分は偽名を使っているし、周りに人がいる。

それよりも、なぜ赤柳が出した片手に、瀬在丸紅子は両手で触れたのだろう。瀬在丸紅子は、片手をちょんと乗せて膝を曲げて挨拶するような人物だ。このとき、二人はなにかを受け渡ししたのかなぁ、と妄想している。例によって、赤柳の正体のヒントにはならない。

会話上、二十五年ぶり以上の再会といっているけど、それを鵜呑みにしていいかどうか怪しい。だが、あからさまに最近会っていれば、この不用意な発言はしないだろう。残念ながら、この時点までで除外されない登場人物には最近会った証拠がない。


最後に赤柳のモノローグ。

そのうちに、ふと瀬在丸紅子のをことを思い出した。そう、今回一番うれしかったのは、彼女に再会できたことだった。本当に、昔のままの紅子さんだった。自分がこんなに変わってしまったのに、対照的といってもよい。

昔のままの「紅子さん」と回想している。本当に二十五年ぶりの再会だったら、香具山紫子や藤井苑子が紅子さんと呼ぶのは自然だが、稲沢真澄が呼ぶのは不自然かも知れない。大笛梨絵は難しい。けど、二十五年ぶりかどうかって分からないので「紅子さん」という呼びかけはヒントにならない。




キウィγは時計じかけ


2006年の9月のできごと。加部谷恵美が三重から、伊豆へ出張に来ているときに起こった事件について書かれている。


ただ、加部谷が一昨年に大学の研究室で書いた卒業論文の成果が、その論文の基礎的な部分になっているため、山吹が加部谷を連名者にしたのだ。

βが加部谷恵美の卒業1年後、この物語は2年後なので、2005年のβの1年後のできごとだ。

この物語には赤柳初朗が登場しないため、正体を特定するのに直接使える情報がない。赤柳初朗の周辺にいた島田文子が登場したので、まとめておく。沓掛が犀川創平に2年前に起きた事件のことを、知らせるところから始まる。


「明日から、建築学会なんです。伊豆にいます。日本科学大学です」 
「ああ、はい、知っています。えっと、二年まえですか、一度だけ行ったことがあります。そちらの計算機センタにハッキングがあったんです」 
[...] 
「この大学で、その件について一番詳しいのは、誰ですか?」

αとβの間に、事件があり、島田文子が赴任していることが知らされる。そして、犀川創平は島田文子の研究室を訪ねる。

「[...] こちらへ就職して、二年ですけれど、ここは居心地が良いわ。若い人が相手だと元気が出るし、そう、日本でも博士を取ろうと思っています」 
「それは良い。島田さんなら簡単でしょう」 
ということは、島田は、海外でドクタを取っているのだ。日本でも取り直す、という意味である。 

真賀田研究所 → ゲーム会社に勤める → 海外で Ph.D  → ... → 日本科学大学、という順番である。ゲーム会社というのは、S&Mシリーズ「有限の微小のパン」での勤め先ことだ。真賀田四季の近くをうろうろしている。

沓掛と島田文子の発言に矛盾はない。赴任については調べたり、人に聞けばすぐに分かるので、嘘をついてもしょうがないためか、矛盾はない。ハッキングについても、特に矛盾はない。したがって、二人とも事実を語っているか、口裏を合わせているか、のどちらかだ。

続いて、西之園萌絵が島田文子に会う。


「知っている」島田は、片手を広げて、西之園の話を遮った。「私は、逆に、その依頼主のことを知りません。でも、時田玲奈さんは、よく知っている。会ったことも何度かある。その依頼主は、時田さんに、あるネットワークを内密に探るように頼んだの。残念ながら、時田さんには荷が重い仕事だった。けれど、彼女が自殺をしたのは、その仕事のせいではありません」 
[...] 
「そうかもしれません。なにしろ、彼は、時田さんのことで上京したとき、駅で襲われて、パソコンを奪われたんです」西之園は話した。ここまで言って良いものか、というぎりぎりの判断だった。しかし、実は嘘が一箇所ある。彼ではなく、彼女だという点だった。その友人の安全に関わることなので、わざと間違った情報を提供したのだった。 
「それは、お気の毒に………そう、そういうことも、あるかもしれない[...]」

2002年のαの最後の事件のことを、西之園萌絵と島田文子が話すシーンである。赤柳初朗が時田玲奈に調査を依頼していたこと、時田玲奈が島田文子と知り合いであることの2点について、赤柳と島田の言い分に矛盾がないことが分かる。

また、西之園萌絵は、赤柳初朗が女性であると認識しているが、この会話では男性として認識しているように、島田文子に伝えている。対して、島田文子は否定せずに話を進めている。このことから、


  • 島田文子は、赤柳初朗を男性だと認識している。
  • 島田文子は、赤柳初朗を女性だと認識しており、西之園萌絵の勘違いを訂正しない。
  • 島田文子は、赤柳初朗を女性だと認識しており、西之園萌絵がしらばっくれていることも知っている。


のいずれかの可能性がある。2つめの場合は、島田文子と西之園萌絵はお互いの状況を断片的に知っている状態にある。3つめの場合は、島田文子のほうが状況をよく分かっている状態にある。

さて、事件が終わってから、ふたりは再会する。



「うーん、そうかあ……」島田は腕組みをした。「いやいや、こんな話をしにきたんじゃなかった」彼女は姿勢を正した。「実はね、私、あそこを辞めることにしたの」 
「え、大学をですか?」 
「そう………もともとさ、福川先生に呼ばれて行ったんだもん、先生が亡くなったら、もうバックアップもないし、たぶん昇格もできないし、そのうちリストラされるかもしれないじゃん。そうなるまえに、若いうちに転職しようって、考えたわけ」

沓掛は、福川をマークしていて、福川が島田文子を日本科学大学に引っ張ってきたと考えている、と犀川創平に話している。その福川は殺害された。その後、島田文子が日本科学大学を離れるのだ。日本でドクタを取ることを考えている、という話はなくなったのか、もう取得してしまったのか分からない。1ヶ月でとれるくらいなら、そう話していただろうから、取っていないと考えるのが妥当だろう。

この話では、島田文子の情報をまとめたに過ぎない。今後の作品でつながることを期待して、残しておく。


 

まとめ

あからさまに違いそうな人物が候補からいなくなっただけで、まだ絞り込めていない。

船のエピソードが出てきたことがない稲沢真澄、森川素直、藤井苑子、秋野秀和だが、それは保呂草といちども船に一緒にのったことがない証明にはならないので候補に残している。



更新履歴
  • 2014-04-20 15時半ごろ: 真賀田四季を追加。
  • 2014-04-15 8時半ごろ: θ、τの時期について軽微なリライト。
  • 2014-04-13 10時ごろ: θ で軽微なリライト。
  • 2014-04-12 9時ごろ: 候補者リストを、θの章に移動。多少のリライト。ロジックはそのまま。
  • 2014-04-11 11時ごろ: φ、θに追記。ロジックに変更はない。
  • 2014-04-??: 「キウィγは時計仕掛け」を追加。
  • 2014-03-30 4時半ごろ: 秋野秀和を追加。
  • 2014-03-30 2時半ごろ: リライト。ロジックはそのまま。赤緑黒白へのリンクを追加。
  • 2014-03-25 23時ごろ: アマゾンへのリンクを追加
  • 2013-02-18 23時ごろ: 藤井苑子を追加。
  • 2013-02-18 22時ごろ: Gシリーズ開始時の年齢を追加。犀川林を追加。
  • 2013-02-12 20時半ごろ: 森川素直を候補に復活。
  • 2013-02-12 18時半ごろ: 各作品の時期を追加。
  • 2013-02-12 16時ごろ: 立松を候補に入れて再考察。
  • 2013-02-12 15時ごろ: 候補者の生年リストを追加。
  • 2013-02-12 14時ごろ: TODOに立松を追加。
  • 2013-02-12 初出