昨年、このレースに参加したとき、スイムでパニクってしまって、棄権しました。今年は大丈夫なように万全の練習をした、わけではなくて、実は今年に入ってから、のべ1km しか泳いでいません。内緒ですけど。ちなみにこのレースは、スイム 1km 、ラン 10km です。
スタート前にちょろっと泳いでみたら、いきなり怖くなって「あーもう、だめ。むり。もう帰る」っていう気分になりました。
[...] 恐怖が身体を支配して、筋肉がこわばってしまう。胸がわけもなくどきどきして、手足が言うことを聞いてくれない。顔が水につけられない。(村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」p.233)
しばらく浮いていて、ぶくぶくぱーしていたら、慣れてきて、泳げるようになりました。ふう。というわけで、最後尾からスタート。1km のスイムを22分くらいで終えて、トランジションに数分を使い、ランに入りました。
ここのランコースはちょっと複雑で、「己」字型のコースレイアウトになっていて、しかも下半分を二往復してから、元の書き出し位置に戻るみたいなレイアウトです。で、「『」みたいなところで給水なのですが、復路でしか給水してはいけません。昨年は往復路で水をとれたと思うんですが、往路で水を取ろうといたら、とくに説明もなく「帰りにとれ」と怒鳴られてしまいました。
走るのは、スピーチなんかを暗記する作業に向いているような気がする。ほとんど無意識に脚を運びながら、頭の中で順番に言葉を並べていく。文章のリズムを測り、言葉の響きを想定する。[...] ただ頭の中で話をしながら、つい表情をつけたり、ジェスチャーを交えたりしてしまうことがあって、走りながらこれをやっていると、向かいから走ってくる人に不思議な顔をされる。(村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」p.154)
暗記ではないけれど、私は組み立てをしていることが多いです。プレゼン、面接、主催者への抗議(実際に抗議することは、ない)、素敵な女性への告白(同じく)なんかを考えています。なので、身振りとかしていることや、ニヤニヤしていることがあって、キモいだろうなぁと思います。
今の職場に転職するときに、面接をする日、昼間にトレッドミルで走っているときには、自己PRをどうやって話そうか考えていました。
そんなこんなで、ラン 10km を55分ほどで終わりました。おもったより早かったです。あーたのしかった。
いずれにせよ、ここまで休むことなく走り続けてきてよかったなと思う。なぜなら、僕は自分が今書いている小説が、自分でも好きだからだ。(村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」p.122)「がんばりますね」と言われるんですが、まあ、頑張っていないとは言わないまでも、やっぱり私にとって、スイム、バイク、ランは純粋にエンターテイメントです。やっている最中が楽しいです。フィニッシュしても感動しないし、達成感も大したことないです。思うには私は、生き方がかなり刹那的で、「そのとき」が楽しくないと嫌なんですよね。ごほうびのために頑張るとかも、無理です。やっていること自体に楽しみがないと、とてもじゃないとできません。そしてこういうメンタリティは、スキルを身につける上で、非常にやっかいだという自覚はあります。でも、そうおもうんだからしょうがない。
ってなことを考えながらストレッチです。ストレッチもあんまり好きじゃないので、そろそろやめよっと。