映画「ノルウェイの森」みました。かなりな勢いで、気に入ったので2回みました。また観るかも。そんなわけで、興奮にまかせて映画の感想を書いてみます。
免責事項を2つ。まず、全力でネタバレです。それから、映画や文学のことはほとんど知らないので、かなり稚拙な内容です。映画評ではなくて、感想です。原作もそんなに読み込めていません。はい。以上、いいわけ。
表層的なストーリーはヤンデレなラブストーリーで、その下のレイヤーは、村上春樹お得意の、こちらとあちらの話です。この映画では、その境目に水があるように思えます。原作になかったのか、読めていないのかは不明です。
たとえば、直子とワタナベが再会するのは、池の前のベンチです。このとき、直子はあちらからこちらにきたのでしょう。そしてセックスをするわけですが、そのあと、あちらに行ってしまいます。このとき雨が降っています(これは原作にもある)。
ワタナベが、あっちとこっちを行ったり来たりし始めるのは、阿美寮に行き始めてから。このあたりでは、阿美寮と早稲田大学を交互にカットが入ります。
緑は一貫して、こちらがわにいるんですが、ワタナベがうろうろしているので、プールが登場したりします。
直子と緑に共通する、雪をどう解釈するかは、自分の中でまとまっていません。
最後のほう、レイコさんとワタナベが寝たあと、直子のシーンが出てくる。水辺の木の枝の上にワタナベが立ってて、木の幹に直子がもたれています。レイコさんが、少し離れたところに座っていて、立ち上がり、そのまま直子の前を通りすぎていってしまう。すぐにシーンは切り替わって、ワタナベのアパートから、レイコさんとワタナベが出て行く。
このシーンは原作にはないのですが、原作で直接語られていない、登場人物の世界の移動というか立ち位置の変化を、映像化しているのだと思います。直子のそばからレイコさんが離れていくけれど、ワタナベはそこにいる。だから最後にワタナベは「今、どこにいるんだろう?」って言うわけですよ、きっと。
小説ではこの表現はできないでしょうね。けど、無粋にならない程度に、トランの解釈が表現されていると思いますし、小説だけでは分かりにくい部分が解説されていると思いました。
あと映画を見て思ったのは、ビリヤードでポケットにボールが落ちるのは、井戸に落ちるメタファーなのかな、と。それは考えすぎですかね。
ちなみに、原作があろうがなかろうが、映画は、その製作者(監督なり、脚本なり、俳優なり、カメラなり)の表現である、という解釈をしています。原作に忠実とかはそれほど気にしないです。あんまり離れてたら気持ちわるいですが、原作から汲み取ったエッセンスを使って表現しているんだなぁってことで。なので、スカイ・クロラも好きだし、頭文字Dの海外版も好きです。それを踏まえて、この映画は、原作をよく表現できているなぁと思いました。