turky さんのアドバイスにしたがって、軽い哲学史の本を読んだりしてから、再び読み始め、なんとか読了しました。読了しましたが理解したわけではないので、これからもときどき読み直さねばなりません。
完全な確信を持っていることに身を捧げる人は決していない。明日もきっと太陽が昇ると熱狂的に騒ぎ立てる人はいないはずである。それは誰もがよく知っていることだ。政治的あるいは宗教的信条に、そしてまたその他の教養や目的に熱狂的に身を捧げるのは、絶えずそれらに疑問を抱いているからなのである。 (p.260)
普段、私は合理性に固執する傾向があるのですが、もしかすると合理性の力に疑問を持っているのかも知れません。自分は必ずしも合理的でないけれど、自分が合理的であってほしいというギャップが、合理性を疑わせているのかもしれません。
心の落ち着きは、技術的作業にとって決して表面的なものではない。これこそが重要なのである。心の落ち着きを生み出すのは、優れた仕事であり、それを破壊するものは、悪い仕事である。[...] 心の落ち着きこそが例の《クオリティ》を知覚するための前提条件だからである。(p.489)
プレッシャーを与えても人は速く考えることはできない。というデマルコの言葉を持ってくるのは、ちと、やりすぎですね。それでも経験上、落ち着いて作業をしたほうが、変なプレッシャーの下で作業するよりも、まともな結果が出ると思います。やっつけ仕事は、だいたい後片付けにコストがかかります。
バイクの修理に取り組むときに心がけるべきことは、他の仕事と同様、自他の分離をしないような心の落ち着きを養うことなのである。これがうまく行けば、その他いっさいがおのずとこれに従うことになる。心の落ち着きは正しい価値を生み、正しい価値は、正しい思念を生む。また正しい思念によって、正しい行為が生まれ、これによって仕事は、誰が見てもその中心に静謐を湛えた一つの実体となって現れてくる。(p.493)
自他の分離をやめるというのは難しそうですし、できたからといって自ずと適切な価値や問題解決の方向が見えてくるとは想像し難いところです。しかしながら、パーシグはずっとその路線で話を展開しています。今のところ否定も肯定もできません。