交渉術の類が嫌いだ。交渉が下手な人間だからだろう。公私ともに交渉で満足な結果を得られたことなど一度たりともない。ずる賢いやり方に違和感がある、というのが一つの理由だと考えている。すべての問題のうち、いくつかを議論の場に持ち出さず、最後にワイルドカードで覆す、みたいなのはフェアではないし、私がやられたら鬱陶しい思いをする。
交渉とは違うのだけれど、チャルディーニの「影響力の武器」に書かれているのは、その種のどんでん返しをうまくやるために有用な心理的慣性(って言葉があるのかどうか知りませんが)のパターン・ランゲージだ。これを悪用するのではなくて、防衛に使うのは合理的な意思決定を促すというのは社会(大きく出たな、おい)にとって良いことだろう。セキュリティと同じく、この種の知識はどうにでも使えるわけだけど。
この本では、意思決定に必要な知識や情報が不足している場合、ある特定の属性が全体の価値を代表しているように知覚されてしまうことがあり、このせいで欲しくもないものを買ってしまったりする、と説明されている。そしてパターンとして「希少性」「返報性」「社会的証明」「権威」などを紹介している。
交渉の話に戻ると「ボーイスカウトのサーカスのチケット買って」「いらねーよ」「じゃあキャンディバーなら?」「しょうがねぇな」という話がある。こっちが譲歩するから、そっちも譲歩して、っていう理屈なんだけど、私はこういうのに弱い。だけど売る側と買う側の負担の絶対値が非対称なのだ。売る側が譲歩のようなものを作りだして、要求の大きさのデルタを見せているだけなのである。そして、譲歩後の提案を検討するときに、譲歩前の提案がなかったことにして考えればよい、というのがこの本による解決策だ。
そんなこんなで盛りだくさんの一冊。実家を訪問したときに読んでいたら、腕を骨折した母に「面白そうな本やねぇ。腕が治るまで、出歩いたりしたら危ないから、その本があったら家でおとなしくできるんやけど」と言われ置いてきた。まあ、さらに怪我されるくらいなら、本の一冊くらい安いもんだけど、つぎはマザコン克服の本を買うべきか。