村上龍の「歌うクジラ」を読みました。
群像に連載されていた、未来SFディストピア的ロード小説「歌うクジラ」を読みました。iPad の電子書籍版で1,500円です。「五分後の世界」「コインロッカーベイビーズ」「イビサ」みたいな描写が好きな人は、好きなんじゃないかな、と思います。
これまでの作品で描かれていた、あるいは主張されていたことと、今回新たに書かれたこと、の両方があります。村上龍節++ っぽい感じでしょう。ディテール描写でぐんぐん惹きつけられる感じでした。
プラットフォームとしては未来SFですが、書かれているテーマであろう、格差や断絶はタイムリーだと思います。「日本に移民が増えすぎる」みたいなのは、10年前と今ではリアリティが違うと思います。
epub などとの互換性のない電子書籍版を先行販売したことや、小説のウェブサイトがあることなど、メタな話題については、基本的にポジティブに受け取っています。
注意:以下、物語の核心に関する核心部分が明かされます。
大勢の人が笑顔をつくっている乳製品の宣伝映像を父親のデータベースではじめて見たとき、目まいと吐き気を覚えた。害悪だと子供にもわかった。 (p.207)
村上龍は、この種の笑顔を否定する記述を、小説内でよくやっている。本当に本人が嫌っているのか、そういう立場の人を描きたいだけなのかわからないけど。ただ、あまりに無表情な会話を続けると私は不安になります。この人、いやなのかなぁ、あるいは何か威圧しようとしているのかなぁ、と。
歩いて老人施設まで行くのかとアンジョウに聞いても意味がない。アンジョウに付いていく以外に老人施設を目指す方法はないからだ。 (p.332)
やっても意味のないことはすべきではない、っというのも、村上龍がよく明示的に書いています。個人的にそれはよいプラクティスだと思っていて、それは心がけたいなぁと思う。思考停止と間違わないように、と。
あの小型のドーム内にはガラスのグラスで飲みものを飲んでいる特別な人たちがいる。だが外を眺めるためのものではない。あれは自分たちが特別だと示すための施設なのだ。(p.149)
「VIP 用なんとか」が目に見える状態になっているのは、今でも見せるために見せていると思います。それが商品としての価値だったりする。そのことに自覚的にならないと、まんまとマーケティングの餌食になってしまうなぁと思いました。
人口の減少および労働力の移民への依存度は幾何級数的に高まり生産性は劇的に下がり幾度となく円は暴落してやがて燃料と職労が欠乏するようになるが一般大衆の政治意識はゼロに等しかった。(p.238)
それ今でもそうだよなぁ。最近、政治がらみで盛り上がってるふうだけど、具体的な活動に移す人は殆どいないし、私もまったく行動をしていません。あまりに何もしていないとか、無関心が続くと、いざとなったときに、どうしていいのか分からないと思います。こわこわ。