2014-06-20

知っていることを全部話したくなる症候群

何年も前のことだけれど「お客さんが、製品の話を聞きたいと言っているから、同席してくれ」と営業に言われたことがある。顧客の興味の範囲は大きくて、自社と他社のセンサから取得したデータをブラウザで閲覧できる、とかそんなのだったはずだ。普段なら要件を絞ってからにしてくれ、と言うところだけど、上得意だったのと、顧客が大雑把にしか考えてないっぽかったので、調べてから対応することにした。

さて、顧客と話してみると、準備した知識や情報のごく一部でできそうだったので、必要十分な情報と方法、質問への回答をした。打ち合わせ後「あれだけ時間をかけて準備してたのに、よくぞ喋らずにいられたな」と営業に言われた。

という話を思い出した。これだけだらだら書いておいてナニだけれど、必要以上に(あるいは不必要な)情報を提供する人はなんなんだろうと、ふと思ったのだ。ついさっき。

時間や労力をかけたとき、工夫をしたとき、話したくなる気持ちはすごく分かる。準備の課程で発見や発明があったらなおさらだ。私も冒頭で2段落も使って書いているわけだ。で、棚に上げるけど、「相手が知りたいこと、知るべきことなのか」には気をつけるようにしている。

外食に行って「今朝入荷した、新鮮な明石の真鯛を〇〇したカルパッチョです」くらいなら、ほほーって気分になる。けど、その真鯛を手に入れるためにどんな人脈をつかったか、〇〇するためにどれだけ苦労したか、今日はバイトが休んだから仕込みが大変だった、みたいな話をされるとげんなりするだろう。きいてねーし、付加価値ゼロだし、知りたかったらこっちが聞くし、って思う。

と思いながら、聞いていることがある。全部話したいのは分かる。だって知ってるんだし、知らないと思われたくないし。けど、汝は5分しか話してはならぬ、みたいな状況でもない限り、相手の質問に答えればいい。それよりも、相手にとって不要な情報を話すことによって「そんなこと関係ないだろ、こいつ分かってないだろ」と認識される方が、やっかいな気がする。話を真面目に聞いてもらえなくなりそうだからだ。

そんなわけで、よっぽどかこの文章を消そうと思ったんだけど、がんばって書いたので公開する。

※ 一応追記しておくと、その作業がどれだけ大変だったか、を伝える必要があるとき/伝えることに価値があるときは、なんとしてでも伝えるほうがよい。