圧倒的らしい本
quipped の人の「
2014年に読んだ本」をながめていたら、カズオ・イシグロの「日の名残り」という本が紹介されていた。
Bezosはこの本を、「たったの10時間、主人公の人生を覗くことで、人生と後悔について教えてくれる本だ」と評していたが(Bezosは後悔最小化フレームワークの提唱者である)、自分の感想は、社畜ライフの最大の悲哀は、社畜であるという自意識の欠乏だということ。今年読んだ小説では、圧倒的に印象に残った。
それほど圧倒的なら、ということで、読んでみた。だが和訳。「わたしを離さないで」(Never Let Me Go) と同じく土屋政雄の翻訳だ。
みんな
家が火事になったらどうする? 家族全員を今に集めて、どの逃げ道が最適か一時間も討論するか? 昔ならそれでよかった、昔ならな。だが、世界はすっかり複雑な場所に変わってしまった。その辺を歩いている人が、誰でも政治学と経済学と世界貿易のことを知っているとは期待できない。
みんなで意見を言い合おうとか、誰の意見にも一理あるとかで、広く意見を集めるというのは、問題解決の手段としては必ずしも適切ではない。とは常々考えている。
基本的な物理現象を理解できない人が、発電所の稼働に反対/賛成だと思うのは勝手だけれど、わたしと意見が同じかどうかに関係なく、直接的な意志決定に関わらないで欲しい。
※ 異なる視点を取り入れること自体に、文句があるのではない。念のため。
後悔
最小化/最大化するという考え方が好きだ。ネガティブなことを完全に無くすのは大変だけれど、最小化するのが現実的なことがある。たとえば、サーバダウンタイムをゼロにするとの、最小化するのは大きな違いがある。
Python 温泉アドベントカレンダーで「プログラマになって、後悔がある」と書いたことに対して、Twitter なんかで反響があった気がする。後悔しないほうがいいけど、わたしはどっちに転んでも後悔はするところまで来ている。子どものころ勉強しなかったとか、高校で合コンにもっと行っとけばよかったとか、取り返しのつかない後悔はいっぱいある。遺憾ではある。なので、今後の人生で、後悔を最小化する方向に倒している。
プログラマになったことにより、いろいろと後悔はある。けれど、プログラマにならなかったら、もっと比べ物にならないくらい、大きな後悔をしただろうと考えている。
A と B を選択があるとき、どちらがより小さな後悔で済むだろう?って考える。ベゾスの後悔とはわたしの後悔は違うかもしれないけれど。
バイアス
この作品の登場人物のひとりが、自己弁護というか、自己肯定というか、とにかく自分がよく思われるように話す。嘘ではないけれど、歪んで伝わってくる。意図しているなら、信頼できない人物である。
問題は、その人物はものすごく大きな感情バイアスが働いてるかも知れない、ということだ。自分が正しいと信じたいがために、歪んで認知しているかも知れない。
後悔を最小化しようとするときには、注意が必要だ。心理的不協和を解決するために、後悔をせずに、これでよかったんだ、肯定してしまうかも知れない。
というわけで
慌てて読んだこともあって、圧倒的な印象は残っていない。読み込めていない感があるので、注意深く再読したい。