2015-10-03

リーン顧客開発を試している

シンディ・アルバレスの「リーン顧客開発売れないリスク」を極小化する技術 (THE LEAN SERIES) を読んで実践しはじめたリーン・スタートアップから派生したシリーズの本で原題は「Lean Customer Development: Building Products Your Customers Will Buy」という副題は「顧客が購入する製品を作る」というところか



売れる製品とは、誰かが金を払うだけの価値を見出しているからだ。つまり、その誰かの課題を解決している。

この本は、課題の設定がそもそも妥当なのか? 解決策は妥当なのか? を検証する方法を紹介している。具体的には、想定顧客へのインタビューを通して、仮説を検証するガイドである。

リーン・スタートアップ関連の本を読んで、いつも「製品を作る前に、潜在顧客に話すの?」と懐疑的だった。けれど、軽い気持ちとは言え、いくばくかの時間をかけて作ったちょっとしたオンラインツールに、ぜんぜんアクセスがないという経験をした。2つ連続で。

需要があるのか? そもそも課題設定も妥当なのか? 妥当だとして、どうやって人を引っ張ってくるんだ? という問に、まったく答えられないことを認めざるをえない。この本にも「製品/サービスの機能よりも、流通、価格、協業あたりにリスクがあることが多い」と指摘されている。おぅふ。

そんなわけで、課題の想定が妥当かのインタビューの準備をしている。インタビューの練習くらいの気持ちで、身近な知人と話しただけで、いきなり学びがあって驚いた。来週も、知人にインタビューのお願いをしてある。

2015-09-28

定期ポスト: 早寝早起

この半年ほど、ニートとバイトの間みたいな生活をしている。世間様という実体のないもの、それから、ちょっと仕事を待ってもらっているクライアントに対して、申し訳ないというプレッシャーを感じながら、マラソンレースに参加してきた。

会場への移動中、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ。日々の定常的な創作活動を、ランニングのトレーニングに投影したエッセイだ。彼は経営していたバーをきっぱり辞めて、22時就寝、5時起床の生活サイクルにし、決まった時刻に決まった時間、書き物をするようになったらしい。別の作家もそんなことやってた、とも書かれていた。

早寝早起きと、起きたら重要だときめたひとつのタスクに時間を使う、というのを試してみようと思う。まずは今年いっぱい。そういう贅沢ができる状況なのだから、一度やってみよう。

測れるほうがいいんだろうけど、毎日やるとか、今年中に100日やるとかだと、期間の途中で不達が確定してしまう。これでは、数値目標で得ようとしているはずのインセンティブが、最後まで保たれない。

よい解決策が探していると、あるいは作り出していると、寝る時間がどんどん遅くなりそうなので、細かいことは考えずに、まずは早寝早起きをする、というふんわりしたところから始める。

2015-07-02

原泰久 / キングダム 1〜37巻

ニート生活もだんだん充実してきつつも、ちょこちょこ仕事を請け負っている。その取引先の人に勧められ、読まないがために取引を止められると辛いので、キングダムを読んだ。低い身分の少年の、戦士としての出世物語だ。

春秋戦国時代の末期がベースになっている。何百年もの平衡状態が崩れて、秦が中華を治めるタイミングなので、大きな変化があった時期なんだろう。ストーリーとして、そもそも面白くなる時期なのだと思う。

七国が入り乱れているので、登場人物が多い。主要人物だけでも描き書き分けが難しくなりそうだが、大きな脚色を加えてある。秦の武将だけでも結構な人数なので、王騎はオカマっぽいキャラになっているし、羌瘣や楊端和は女性という設定になってる。そして記録があんまり残っていない李信を、分かりやすい主人公的なキャラクターに仕上げている。キン肉マンや桜木花道のように、考えたことがそのまま発言と行動になるような。

信を主人公として見たキングダムは、大塚英志の「物語の体操」に書いてある(と思うんだけど)、英雄物語の王道ストーリーになっている。英雄が何らかのハンデを背負ってスタートし、ハンデを克服したり、新たなアイテムや仲間を得て、大きな目的を達成していく話だ。

もともと始皇帝が英雄伝説テンプレートに則ってるけど、キングダムは周辺の人物を軸として、英雄物語になっている。他の登場人物もフラクタルのように英雄伝説を生きていて、たとえば王賁はエリートだけど、父にあんまり直接可愛がられてない、とかだ。

史記(の一部)とキングダムの関係は、三国志と三国志演義の関係みたいな感じだろうか。読んだこと無いけど。史実に創作をかぶせている。宇野常寛の「リトル・ピープルの時代」でいうところの、いまどきの創作っぽい。現実に創作をかぶせているとか、主要人物が読者に近いところにいるように見えるところとか。

諸葛亮孔明や劉備玄徳だと、大ボス感がありすぎてビッグブラザー的になってしまう。始皇帝だって大ボスなんだけど、下僕の立場である信と漂から物語がスタート → 漂と瓜ふたつの政(始皇帝)という設定にすることで、一気に近づけてしまっている。信がタメ口をきくから余計に近くなる。リトル・ピープル的というのは、そういう意味で。

羌瘣も政も、過去が少しずつ無理なく明らかになっていく。たとえば羌瘣は、最初はまったく謎の戦士である。そうしないと、信の戦闘物語とごちゃごちゃになってしまうのだと思う。映画「バンテージ・ポイント」みたいに、同じシーンをスピーディーに何度も複数の視点で見せられればいいんだろうけど、漫画では、とくに週刊誌の連載では、くどいくなりし、だいたい進展が遅くなるんだと思う。たとえば、事前に羌瘣が戦から離脱 → 信の戦が一段落 → 羌瘣が復讐を果たす過程で、過去が明らかに、という順序になっている。

国同士の戦闘なので殺人シーンが多いのと、殺せとかいうセリフが多いので、うわぁ... って思ってしまうんだけど、まあ時代的にはしょうがない。アニメ化するときはきっと大変だったんだろう。



というわけで、先週の金、土、日は、抜歯の痛みに耐えながら、キングダム 1〜37巻を読むだけで終わった。ニート生活万歳。交際費として経費にできるかなぁ。