今朝がた、
プロジェクトを assign されたのではなく、own していると考えると、何か変わったりするのだろうか。こういう体育会系的な気持ちの持ちようみたいなのは嫌いだけれど、アクションに影響が出るなら、気持ちの持ち方を変えてみたい。
などと、つぶやいたのだけれど、これがあまりにひどい言い方なので、ちと書き直し。というか、まとめ直し。
少し前まで、大きめの組織に所属していました。やりたくてもさせてもらえないことがあった一方で、他の人にお願いできることもたくさんあったと思います。
今は小回りのきく組織に所属しています。そうすると、他の人にお願いできることが減った分、自分が決めていいこと、やっていいこと、やめていいこと、ほっといていいことなどの選択肢が大幅に増えました。これは予想の範囲。
予想していなかったこと(でも予想は可能だったはず)は、自由度が大きくなると、制御しようとする系が複雑になるということ。そんなことは、大昔に学校で習ったことであるのに。締切ひとつとってもそう。数ヶ月後にまとまった成果を上げないといけないとしましょう。そのためにいくつかの細かいタスクが存在します。各タスクの締切をいつにするか。来週でもいいし、再来週くらいでもよい。でも幅をもたせていていては締切にならないし。で、締切の設定の仕方によって、成果が変わる可能性があって、じゃあ成果側を定義しようとすると締切に影響があって、みたいな非線形な関係になっていたりする。
そして、こういうときの工学的な解決方法も学校で教わっている。境界条件を満たしておけば、とりあえず適当に決める。そして、適当に決めた数字の妥当性を評価し、その結果によって、数字を上げ下げする、というのを繰り返すのが数値計算のやりかた。
で、assign と own に話をもどしましょう。一般に assign された仕事は自由度が低く、own している仕事は自由度が大きい傾向があるような気がします。一般にそういう相関がありそうである、という程度の意味で。実際に私が直面していたのは、自由度の大きさのせいで、問題解決空間の大きさに圧倒されていただけだったのだと、今頃気づきました。