2011-07-11

データではなくメソッドを学ぶ - 森博嗣「科学的とはどういう意味か」

「信仰は科学です( ー`дー´)キリッ」みたいなことを普段言っている割には、かなりな勢いで直感でものを考えているふるかわです、こんばんは。

駅の本屋さんでふと目に止まって、森博嗣の「科学的とはどういう意味か」を買いました。

人間にとって「気持ち」の影響力は大きい。けれど、いくら感動しても、いくら泣いても、飢えている人を救うことはできない。いくら一時の笑顔があっても、それは「解決」ではない。 (p.12)
当たり前のことですが、つい忘れてしまいますね。

こんなに大げさな話ではなくても、問題の解決にまったく寄与しないことが、自明であるにも関わらずやってしまうことってあります。目下の課題とまったく関係のない質問、誰にも聞かれていないし、役にもたたない発言など。そういうことに自覚的でありたいと思います。

学科で教わることには、以上のように2種類ある。きっちりと分かれてるものではないけれど、大別すると、「データ(情報)」と「メソッド(方法)」だ。[...] これに対して、後者は、それらの材料を用いて加工する「方法」を憶えることになる。算数や数学というのは、一言でいえば「方法」なのである。 (p.35)
 「大学の研究室でやった研究で仕事してる奴なんか、ほとんどおらんで。ここは方法論を教えるところやから」と言ったのは、私が所属した研究室の先生の言葉でした。私は物覚えが悪いので、テストは常にひどかったですし、いまでもひどいです。


仕方なく方法論を身につけようと思いました。なので、何か新しいことを知ったら、とくにそれが方法論であったり、解釈の仕方であったりすると、「この方法を違う問題に当てはめられないか」と考えます。いつも、ではないですが、そういうふうに考える傾向があります。


それがどのくらい有効なのかよく分かりませんが、少なくとも私には役に立つ考え方であり、アプローチです。


と、まあ、当たり前なことを、ドヤ顔で書いてみました。「こんなこと役に立つのかよ」って思い悩む、高校時代のときから余裕でプログラミングとかできている学生の役に立てば、と思いました。