2016-06-18

人工知能が暑苦しいですね

クラウド、ビッグデータ、IoT と来て、今年は人工知能というところらしく、とりあえず人工知能って言っとけという雰囲気になってきた。この流れなら何を言ってもよさそうなので、言っておく。

クラウド、ビッグデータ、IoT がそうであったように、定義があいまいなので、それも人工知能なのかよみたいなのがある。チャット的なユーザーインターフェースや、音声によるユーザーインターフェースも「人工知能」と呼んでいる人たちがいる。

そんな奴おらへんやろう、と思うなかれ。本当にいる。

限定的であったとしても、自然言語から意味を抽出する、あるいは仮にキーワードだけでも抽出するのは、それなりのインテリジェンスは必要だし、そんなものを作る技術力は私にはない。それでも、そのユーザーインターフェースを指して、人工知能と呼ぶカジュアルさはどうだ。見習っていきたい。

学生だった頃、ということは、四半世紀くらい前は、人工知能はエキスパートシステムに代表されるようなもので、ニューラルネットワークとはゆるく区別されていた気がするけど、今はそういうのは統合されているっぽい。あるいは、人工知能学会では明確な境界があり、上記のユーザーインターフェースと同じように、解釈が拡大しているのかも知れない。

で、そんなことはどうでもよくて、昨夜、ちょっと思考実験をした、というかさせられた。十分な教師データが用意され、コンピューティングリソースが確保でき、インターフェースがそれなりに確立したら、多くの人間の技能は undistinguishable な機械に置き換えられる可能性があるだろう、と。

そのときは楽器演奏や芸術活動が例にあがったのだけれど、まあ、反発もあるだろうから、自分の話にすると、「とおるメモ」の生成なんて余裕で機械化できると思う。文章そのものはもちろん、そのときどきの時事的な状況、他のコンテンツ、他者とのやりとりも入力パラメータにできれば(どうやってモデル化するか、私には想像さえできないけれど)、大丈夫だろう。その時間軸を短く圧縮すれば、それはライブ的な活動にも応用できると考えられる。

email や web が一般人に普及し始めた時、「世界が変わる」と言われたけれど、すぐに変わったりはしなかった。email でコミュニケーションとれる相手も少なかったし、ウェブサイトの絶対数も、品質もしょぼかった。でも、除々に浸透してきて、ウェブのない生活ってもう想像できない。正確にはウェブサービスのない、みたいな意味なんだけど。

人工知能もそうやって、ちょっとずつ入ってきて、多くの場合はそんなにすぐに目には見えないところに、いつの間にかいっぱいあるみたいになるんだろうなと思う。とおるメモジェネレーターができるまでに、直筆のメモを書いておきたいな、と少し思った。